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怒涛の東北旅行記(2) [travel]

さて、仙台を後にして今度は在来線にてトコトコと北上します。今回目指す先は岩手県は平泉。

 

 仙台より1時間少々で到着

 

奥州藤原三代や源義経最期の地としてあまりにも有名な地です。かねてより機会があれば訪ねてみたいと思っていたので、念願叶って…というところですね。早速、駅前でレンタサイクルを借りて、散策することに。

 

 

無量光院跡です。かつてはここに宇治平等院を模した大寺院が建っていたとか。今は遺跡と田んぼのみとなっていて往時の栄華を伺うことはできません。

 

さらに進んで、今度は高舘義経堂へ。ここは急坂の上にあり、自転車は押さないと到底登れません。かつては義経の屋敷がここにあったとか。

 お堂の内部には義経像が

ここからの眺めは素晴らしいです。手前を流れるのが北上川。

 

そして、いよいよ平泉観光のハイライトでもある中尊寺へと向かいます。

 参堂です。ここも結構な急坂

          こちらが本堂 

 

で、中尊寺といえばやはり有名なのは金色堂でしょう。

 この覆堂の中に金色堂が

残念ながら内部の金色堂そのものは撮影禁止です(詳しくは中尊寺ホームページでどうぞ)。これがまた聞きしに勝る立派な建物でした。金箔はもちろんのこと、いたるところで使われる螺鈿(らでん=真珠のように輝く箔)が見事のひとこと。

しかし、金色堂ってああいう保存形態をされていたとは実は行くまで知らずにいまして。てっきり金閣寺みたいなもんかとばかり思ってました…(苦笑)。どうりでどの写真を見ても周りが暗いわけです。

 

 こちらは旧覆堂

かつては、この中に金色堂が収められていたのです。松尾芭蕉はこの中で金色堂を見たということですね。

 

中尊寺をじっくり拝観した後は、今度は毛越寺(もうつうじ)へ。

 本堂

    本堂脇にある庭園と池 

 庭園はかなり広い

この毛越寺は、往時には大伽藍を複数配置した大寺院だったようで、敷地内や庭園内にはその遺跡が数多く残っています。そういうのを見ていくと、かつての藤原三代の権勢がいかに凄かったかというのが何となく見えてきます。

考えてみれば、東北は農業に適した地であることに加え、金銀採掘などの鉱業が古くよりさかんな地であったわけです。平泉はそうした東北の資源をうまく活用することで、京や鎌倉に伍す一大勢力となったのではないかと。そう考えると、今や一見すると岩手の片田舎にしか見えないこの地に、かつて華やかな歴史があったことも納得できてきます。まさに、「夏草や兵どもが夢の跡」(芭蕉)ですね。

 

平泉は京都や鎌倉あたりの古都とはかなり趣が異なるものの、ある意味で普通の古都以上に歴史の奥深さを感じられる場所だと思いましたね。ちなみに、ここを周るのは自転車がちょうど良かったです。歩くのにはやや辛いし、バスでは小回りが利かないしで、平泉観光は自転車に限ると思います。


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Ritsu

久しぶりにうかがいました。そうしたら、昔行った毛越寺が! 
いい時期にいらっしゃいましたね。
たしかこのあたり、地ビールがあったはず。味見なさいましたか?
by Ritsu (2006-09-30 22:38) 

うつぼ

こうやって観ると、自分の旅行が日本史をまったく辿っていなかたことに気づきました。電車にダラダラ乗っていただけですし、、、少々後悔しています。。。
by うつぼ (2006-09-30 22:49) 

bone-shaker

>Ritsuさん、お久しぶりです。
毛越寺は実は行くまで存在をよく知らなかったのですが…、行ってみてその敷地の美しさと広さ、さらに点在する遺跡の多さに往時の平泉の力を見た思いがしました。地ビールのことは残念ながら知りませんでした…。今回はあまり酒には手を出さなかったので、次回こそは…と思っております(苦笑)。

>utsubohanさん
途中で気づいたんですが、この旅は微妙に「奥の細道」とルートがかぶってるんですよね。山形の山寺と最上川下りさえ行っておけばほぼ完璧だったんですが…(笑)。とはいえ、電車か車にダラダラ乗っていただけというのは私も同じですよ(特にこの平泉以降は…)。
by bone-shaker (2006-10-01 00:22) 

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